探し求めて得た答え

『自分は、何故生まれ、何の為に生きているのか?』
と、追求し始めたのは、いつ頃だったろう。
気がついたら、その事を日々考えていた。

そう考える背景には、
『生まれてこなければ良かった。』
という思いがあったからだと分かったのが10代後半だったと思う。

自分が生まれた理由。
それは、人間の欲求によるものであり、
その欲求の営みのタイミング。
即ち、両親の性欲ということ。
それが、1日でも、1秒でもズレていれば、
私は、生まれていない。

両親が私を作った理由は、
父の兄に子供ができず、
その兄の養女にする為に作った。と父から聞いた。
でも、何故、養女に出さなかったのか?
それは、未熟児で生まれた私が、
「何度も死を宣告され、強い情が移ったからだ。」
と、父が言っていた。
私が生まれた理由は、そんな大人の思惑があったから。

人生は、苦しいことの連続。
生きること自体が辛い。
そんな苦しみの中に、生きる理由があるのか?
私は、何の為に生きているのか?
死んだ方が楽だ。
20歳の時に自殺を図ったが未遂に終わった。

目が覚めたとき、死ねなかった・・・。と落胆した。
でも、再度、自殺を図ろうとは、思わなかった。
死ねなかったのなら、生きる道を選ぼう。

そこで初めて、『自ら生きることを選択した。』
何のために生きるのか?
それは、自分が生きると決めたから。
苦しんだ結果、生きる理由ができました。

その時、初めて理解しました。
生命(自分)の誕生は、多くのタイミングが一致し、
細胞レベルの本能で生まれただけのこと。
そして、『生きる理由』は、生誕後に自ら見つけるのだと。


麻生 若那

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# by wakana-2015 | 2017-11-12 12:54 | 心理