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誰の所為でもない・・・。

私の両親は、近所の噂の種になる人達でした。
父の暴力で母の具合が悪くなり、月に何度も救急車が来る。
子供だった私は、近所のおばさんに助けられました。

そして、大人になっても、噂の種の絶えない両親でした。
父の機嫌を窺う癖や近所の噂を耳にする日々だった所為か、
常に周囲の目が気になり、大人しくしている私でした。
そんな日々ですから、ストレスが強い。

それは、親の所為、周囲の噂の所為。と、外部ばかりを批判する私。
批判と愚痴ばかりも疲れる・・・。

もっと自由になりたい、もっと楽になりたい。と常に思っていました。
どうしたら良いのだろう?・・・と、模索する日々。
高校で学んだ哲学は、そんな私に答えをくれました。

苦しいのは、誰の所為でもない。
この問題は、身体的、物理的な問題とは違い、
私の捉え方、考え方を変えれば解決できる心理的な問題。
他人の噂など気にしなければ、大した事じゃなくなる。
他人の顔色を窺う癖も、その都度、「この人は、父じゃない。怖くない、大丈夫。」と自分に言い聞かせれば良い。

私は、問題を誰かの所為にして、対峙できない自分だった。
そこに気付いた時、心が自由になり、解放されました。


麻生 若那

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by wakana-2015 | 2017-02-27 10:20 | 心理

偏見

大学時代、アメリカの姉妹校で英語を勉強する機会があった。
その際、課外学習で「ホロコースト博物館」を見学した。

見学していく中で、二つのドアの前に立たされ、「自分に偏見があると思う人は、こちらへ。偏見が無いと思う人は、あちらのドアの前にお立ち下さい。」とガイドに促され、私は、偏見があるドアの前に立った。
もう一方のドア(偏見なし)の前に、高齢の男性が「私には、偏見などない。」と言って立っていた。

全員が立ち位置を決めた所で、ガイドが言った。
「では、ドアを開けて下さい。」
私の選んだドア(偏見あり)は、開き、もう一方のドア(偏見なし)は、開かなかった。
そして、ガイドが言いました。
「偏見の無い人間は、いません。偏見を自覚することが平和の第一歩です。」と。

私は、自分に偏見などないと思っていた時期がありました。
というより、偏見の有る無いを自覚していなかったと言う方がシックリくるかな。
でも、高校で哲学を学んだのをきっかけに、自分は、偏見の塊だと自覚した。
その偏見の塊を割り、柔軟な思考や新たなことを吸収できる自分になろうと努力した。
最初は、簡単じゃなかったけど、ニュートラルな思考状態が保てるようになった時、目の前の霧が晴れ、頭がスーッとスッキリしていくのを感じた。

その経験で分かったことは、自分を苦しめていたのは、自分自身だったということ。
それ以降、生きるのが楽になりました。


麻生 若那

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by wakana-2015 | 2017-02-22 10:47 | 心理

絶対と真実

10代の頃、真実や絶対性を求めていた時期があった。

とある宗教が説く「絶対的幸福」を信じようとしたこともある。

自分の生真面目さを信じ、「自分は、非常識なことを絶対にしない。」と思い込んでいたこともあった。

20代半ばになり、色んな出来事が重なり、精神的に追い込まれ、自分は絶対にしないと信じていた行動を取ったことがあった。
そんな行動をしながらも『まさか自分が…』とか『こんなことをしてはいけない。』という強い葛藤があった。
でも、その行動を止められない自分が、そこに居た。

このままでは、いけない。
こんな非常識な行動を取る自分の心と向き合わなければ。と、思い、心の声を丁寧に聴いてみた。

すると、「絶対的幸福を信じようとしているけど、信じられない。」自分が居て、『そんな自分は、ダメ人間。だから、幸せになれないんだ。』と、責めている自分も居た。
そして、改めて『絶対』とは、『真実』とは、何か?と追究しようと思った。

その答えは、この世にある絶対は、死のみで、
この世にある心理的真実は、人によって異なり、自分の体験により得られる。だった。

絶対的幸福を説く宗教を何年経っても信じられないのなら、それが私の経験から得た答えなのだから、潔く別の道を進めば良い。
真実を求めるなら、私自身の日々の経験を大切にすれば良い。
そして、信じていた自分でさえ、自分を裏切り、想定外の行動を取るのだから、自分を含め、人は、良くも悪くも変化するものと捉え、既成概念に囚われないようにしよう。
この時の経験は、心が解放された貴重な体験でした。


麻生 若那

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by wakana-2015 | 2017-02-19 08:00 | 心理

卑屈にならない

人間ならば、「こうなりたい。」、「ああなりたい。」という夢や理想を抱く。

私もそう。
色んな理想がありました。

でも、努力しても、努力しても、実現しない日々。
特に、子供が欲しいという思いが実現しないのは、辛かった。
周囲は、どんどん妊娠して、自分だけが置いて行かれる不安。
不妊治療を何年続けても治らないし、家族や親せき、周囲の偏見によるストレス。
どんどん卑屈になっていきました。

卑屈になっている自分を俯瞰した時、
悲劇のヒロインに、どっぷり浸かっているように見え、
そんな自分が嫌でした。

そこで、次のようなカテゴリー分けを考えました。
自分が持っている多くの理想の中から、
他人の手を借りずに実現できそうなこと、
他人の力を借りなければ実現できないこと、
医学の力を借りなければならない問題等々。

分けてみたら、他人の力を借りて実現したいことはなく、
医学の力を借りるカテゴリーは、自分も努力するけど、医学に任せればいい、
他人の手を借りずに実現できそうなことは、諦めずに取り組めばいい。
という具合に、自分が何をすれば良いかが分かり、頭の中が整理され、
同時に、行動も整理されて、気持ちが軽くなりました。

卑屈になったら、何もかもが嫌になる。
そんな自分も嫌いになる。
それでは、自分の人生を自分でダメにする。
それだけは、したくない。
だから、卑屈になりそうになったら、この体験を思い出そうと思いました。


麻生 若那

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by wakana-2015 | 2017-02-14 10:37 | 心理

規制

自分の中に、自分を規制するものがある。

これをしてはいけない、
こういう時は、こうするべき。

自分に色んな規制をつけて、動きにくくしている。

その規制は、何からきたの?
それらは、自分の経験から作り出したの?
私は、それを本当に正しいと信じているの?

そうやって自分に問いかける内、
それらの殆どが親を含む周囲の大人から植え付けられたものだと理解した。

そして、もう一度、自分を規制しているものを一つ一つ検討し、
取捨選択をして、納得できるものだけを残してみた。
すると、心がスッキリ、動きやすくなった。

何が真実か否か。
分からないことが多いけど、
経験の中から自分なりに判断する。
分からない時は、保留する。
これで良いんだ。と、思った。

人間は、一人で生きられないから、
多少の規制が必要だけど、
生き難くなるほどの過剰な規制は、要らない。


麻生 若那

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by wakana-2015 | 2017-02-08 11:07 | 心理

他人の意見に振り回される

10代の頃、他人の意見に翻弄され、常に心が定まらなかった。

そこには、「他人に良く思われたい。」とか、
「自分に自信が無い。」というのがあった。

そんな自分を変えたいと思っていた時、
高校の哲学が考えるキッカケを与えてくれた。

どうして、他人に良く思われたいの?
どうして、自信がないの?
そう自分に問いかけ続けたのが20代前半。

ふと思いついた答えは、
他人に好かれる安心感、他人と繋がっている安定感。
自分にとって、他者とは、安定を与えてくれる存在になっているということ。
けれど、自分の心が定まらないことを思えば、他人も同様に変化する。
そんな他人を安心・安定の拠り所にして良いのかな?
他人に気を遣って好かれた所で、それは、真実の自分じゃない。
本来の自分に魅力を感じてもらってこそ、自然な人間関係なのではないかな。。。
自分の中にこそ、安心・安定の拠り所を作らなくちゃ。と思った。

そして、自信があるとか、ないとか、
経験の浅い10代、20代なら、自信がなくて当然なんじゃないの?
自信には、根拠が必要で、その根拠は、体験の中で得られるもの。
まず、私がすべきことは、4年制の通信高校を良い成績で卒業すること。
それが、必ず今後の自信になる。

他人の顔色を窺ったり、自信がないから何もできないと思ったり。
そんなことに焦点を当てていたら、自分は、一生変われない。
だから、20代は、逃げずに挑戦しよう。
もし、逃げたくなったら、道を変えない避け方を考えよう。
それを続けたら、10年後には、
他人の顔色も気にならず、堂々と生きられる自分になっていました。

<お薦め本>


麻生 若那

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by wakana-2015 | 2017-02-05 11:21 | 心理分析

他人を羨ましく思う・・・

人間観察は、面白い。
特に、自分観察が面白い。

生活の中で、自然に湧く心。
その一つ、一つに疑問を持ち、その源を辿るのが面白い。

若い頃、他人が羨ましくて仕方なかった。
「子供思いの両親がいる人」
「普通に進学できる人」
「当たり前のように妊娠する人」
・・・。

数え上げたら切りがないほど、他人を羨ましがる私。
高校で哲学を学び始めた23歳頃から、
そんな自分に『なぜ、そう思うの?』と問いかけるようになった。

当然、自分に無い物を持っている人が羨ましいのだが、
それらが私にもあれば、『幸せ』だと思い込んでいる自分がいた。
幸せという形が私の中に明確に存在していることを知った。
そして、私は、『自分に無い物』ばかりを数え上げていることに気付いた。

自分の中から「良いもの」を見い出せなければ、
私は、他人を一生羨むことになる。
そんな一生で良いの?と自分に問いかけたら、
そんなの嫌だ!と返ってきた。

赤毛のアンのように、小さな良い事を見つけられる自分になろう。
最初は、簡単に見つけられなかったけれど、
繰り返していく内に、普通にできるようになり、
心が穏やかになった。

<お薦めの本>


麻生 若那

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by wakana-2015 | 2017-02-01 11:22 | 心理分析