カテゴリ:心理( 74 )

自己愛の強い親

『子供を愛さない親は、いないよ。』

両親の話をすると、決まって言われた言葉。
その言葉を聞く度、「この人は、私が経験している修羅場を理解出来ない。」と思った。

自己愛が強い親は、子供より自分が優先。
子供を愛する以前に、子供から愛を得ようとする。
故に、子供は「親の親役」を負わされる。

人生経験の浅い子供は、「親を喜ばせよう。」と、必死に考え、
『親にとって、良い子』になる。
聞き分けの良い子、親に素直な子、親に頼らず自分で何でもする子、e.t.c.

親の機嫌が良ければ、愛され、可愛がってもらえる。
だから、親の機嫌を損ねぬよう振る舞う。
いつしか、親からの愛は、自分の振る舞いへの対価となる。

そして、子供は、大人になり、親を一人の人間として見るようになる。
「こいつら、これでも親か?!」…そんな言葉が頭をよぎる。
同時に、『育ててもらった親に、そんな事を思っていいのか?!』と自分を責める。

育ててもらった子供として…。という道徳観。
愛されたい。という親への愛情欲求。
人として…。という、一般倫理観。
それらが交差して、頭の中が乱れる。

ん?ちょっと待てよ。
全部をまとめて考えるから乱れるんじゃないの?
一つ、一つ、切り離してみたら、どうだろう。
ごっちゃにするから、どうしていいか分からなくなるんだ。

頭の中を整理したら、乱れが治まり、
親と自分の関係を冷静に考えられるようになった。

何歳になっても、私の中には「親に愛されたい子供の自分」が居る。
それを認め、「親に愛されたい子供の自分」の声を聴き、
私が私の母となり、子供の自分に愛情込めて応える内に、
不完全燃焼だった愛情欲求が昇華されていく。
そして、生物学的な親は、愛情対象ではなく「人としての彼ら」となった。


麻生 若那

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by wakana-2015 | 2017-03-12 08:00 | 心理

もう、怯えなくていい。。。

両親のようになりたくない。
両親のようになるのが怖い。

いつからか、そんな不安が私の中で生まれ、
常に努力をすることを強制する自分が生まれました。

”努力をしないと、崖から転がり落ちるように、
自分がダメになる。両親のように…。

けれど、不安を抱え、怯えながら努力を続けると、疲れてしまいます。

40歳になった頃、頑張り続けること、努力し続けることに疲れ、
毎晩、入浴時に、正岡子規の言葉や孔子の言葉を頭の中で繰り返しては、
「40歳にもなって、何もできていない。」と、自分を責めました。

臆病な努力を続けてきた自分が何も残せる訳が無い。
そんな思い込みがあったのです。
数か月、自分を責め続けた後、ふと、視点が変わった時がありました。

自分は、何もしていないと責めているけれど、
22歳から決意したことは、やり遂げた。
そして、やり遂げた事で自分の生活を変えた。
自分は、ちゃんと結果を残しているじゃないか。
自分を否定し、感情的に自分を責めるのではなく、
積み重ねた事実と、変化した現実を見てあげなくちゃ。

例え、怯えながらでも努力を続けた事実と、
その成果として、やりたかった仕事に就いている現実。
ただ、私は、怯えながら努力することに疲れ、
もう、こんなの嫌だ!と強く感じているだけだったのです。

追われるように努力したり、
怖いという理由で頑張る事に強い違和感を抱いただけ。

そこに気付いたことで、気楽な努力ができるようになれました。
もう、怯えなくて良い。
両親の呪縛から解放された瞬間でした。


麻生 若那

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by wakana-2015 | 2017-03-05 08:00 | 心理

予約枠を増やしました

exciteお悩み相談室にいらして下さる皆様、いつも有難うございます。

今回は、予約枠増加のお知らせです。

今までより、少し多めに夜間の予約枠を設定しました。

下記のexciteお悩み相談室バナーから、スケジュールをご覧になれます。


麻生 若那

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by wakana-2015 | 2017-03-02 11:30 | 心理

誰の所為でもない・・・。

私の両親は、近所の噂の種になる人達でした。
父の暴力で母の具合が悪くなり、月に何度も救急車が来る。
子供だった私は、近所のおばさんに助けられました。

そして、大人になっても、噂の種の絶えない両親でした。
父の機嫌を窺う癖や近所の噂を耳にする日々だった所為か、
常に周囲の目が気になり、大人しくしている私でした。
そんな日々ですから、ストレスが強い。

それは、親の所為、周囲の噂の所為。と、外部ばかりを批判する私。
批判と愚痴ばかりも疲れる・・・。

もっと自由になりたい、もっと楽になりたい。と常に思っていました。
どうしたら良いのだろう?・・・と、模索する日々。
高校で学んだ哲学は、そんな私に答えをくれました。

苦しいのは、誰の所為でもない。
この問題は、身体的、物理的な問題とは違い、
私の捉え方、考え方を変えれば解決できる心理的な問題。
他人の噂など気にしなければ、大した事じゃなくなる。
他人の顔色を窺う癖も、その都度、「この人は、父じゃない。怖くない、大丈夫。」と自分に言い聞かせれば良い。

私は、問題を誰かの所為にして、対峙できない自分だった。
そこに気付いた時、心が自由になり、解放されました。


麻生 若那

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by wakana-2015 | 2017-02-27 10:20 | 心理

偏見

大学時代、アメリカの姉妹校で英語を勉強する機会があった。
その際、課外学習で「ホロコースト博物館」を見学した。

見学していく中で、二つのドアの前に立たされ、「自分に偏見があると思う人は、こちらへ。偏見が無いと思う人は、あちらのドアの前にお立ち下さい。」とガイドに促され、私は、偏見があるドアの前に立った。
もう一方のドア(偏見なし)の前に、高齢の男性が「私には、偏見などない。」と言って立っていた。

全員が立ち位置を決めた所で、ガイドが言った。
「では、ドアを開けて下さい。」
私の選んだドア(偏見あり)は、開き、もう一方のドア(偏見なし)は、開かなかった。
そして、ガイドが言いました。
「偏見の無い人間は、いません。偏見を自覚することが平和の第一歩です。」と。

私は、自分に偏見などないと思っていた時期がありました。
というより、偏見の有る無いを自覚していなかったと言う方がシックリくるかな。
でも、高校で哲学を学んだのをきっかけに、自分は、偏見の塊だと自覚した。
その偏見の塊を割り、柔軟な思考や新たなことを吸収できる自分になろうと努力した。
最初は、簡単じゃなかったけど、ニュートラルな思考状態が保てるようになった時、目の前の霧が晴れ、頭がスーッとスッキリしていくのを感じた。

その経験で分かったことは、自分を苦しめていたのは、自分自身だったということ。
それ以降、生きるのが楽になりました。


麻生 若那

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by wakana-2015 | 2017-02-22 10:47 | 心理

絶対と真実

10代の頃、真実や絶対性を求めていた時期があった。

とある宗教が説く「絶対的幸福」を信じようとしたこともある。

自分の生真面目さを信じ、「自分は、非常識なことを絶対にしない。」と思い込んでいたこともあった。

20代半ばになり、色んな出来事が重なり、精神的に追い込まれ、自分は絶対にしないと信じていた行動を取ったことがあった。
そんな行動をしながらも『まさか自分が…』とか『こんなことをしてはいけない。』という強い葛藤があった。
でも、その行動を止められない自分が、そこに居た。

このままでは、いけない。
こんな非常識な行動を取る自分の心と向き合わなければ。と、思い、心の声を丁寧に聴いてみた。

すると、「絶対的幸福を信じようとしているけど、信じられない。」自分が居て、『そんな自分は、ダメ人間。だから、幸せになれないんだ。』と、責めている自分も居た。
そして、改めて『絶対』とは、『真実』とは、何か?と追究しようと思った。

その答えは、この世にある絶対は、死のみで、
この世にある心理的真実は、人によって異なり、自分の体験により得られる。だった。

絶対的幸福を説く宗教を何年経っても信じられないのなら、それが私の経験から得た答えなのだから、潔く別の道を進めば良い。
真実を求めるなら、私自身の日々の経験を大切にすれば良い。
そして、信じていた自分でさえ、自分を裏切り、想定外の行動を取るのだから、自分を含め、人は、良くも悪くも変化するものと捉え、既成概念に囚われないようにしよう。
この時の経験は、心が解放された貴重な体験でした。


麻生 若那

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by wakana-2015 | 2017-02-19 08:00 | 心理

卑屈にならない

人間ならば、「こうなりたい。」、「ああなりたい。」という夢や理想を抱く。

私もそう。
色んな理想がありました。

でも、努力しても、努力しても、実現しない日々。
特に、子供が欲しいという思いが実現しないのは、辛かった。
周囲は、どんどん妊娠して、自分だけが置いて行かれる不安。
不妊治療を何年続けても治らないし、家族や親せき、周囲の偏見によるストレス。
どんどん卑屈になっていきました。

卑屈になっている自分を俯瞰した時、
悲劇のヒロインに、どっぷり浸かっているように見え、
そんな自分が嫌でした。

そこで、次のようなカテゴリー分けを考えました。
自分が持っている多くの理想の中から、
他人の手を借りずに実現できそうなこと、
他人の力を借りなければ実現できないこと、
医学の力を借りなければならない問題等々。

分けてみたら、他人の力を借りて実現したいことはなく、
医学の力を借りるカテゴリーは、自分も努力するけど、医学に任せればいい、
他人の手を借りずに実現できそうなことは、諦めずに取り組めばいい。
という具合に、自分が何をすれば良いかが分かり、頭の中が整理され、
同時に、行動も整理されて、気持ちが軽くなりました。

卑屈になったら、何もかもが嫌になる。
そんな自分も嫌いになる。
それでは、自分の人生を自分でダメにする。
それだけは、したくない。
だから、卑屈になりそうになったら、この体験を思い出そうと思いました。


麻生 若那

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by wakana-2015 | 2017-02-14 10:37 | 心理

規制

自分の中に、自分を規制するものがある。

これをしてはいけない、
こういう時は、こうするべき。

自分に色んな規制をつけて、動きにくくしている。

その規制は、何からきたの?
それらは、自分の経験から作り出したの?
私は、それを本当に正しいと信じているの?

そうやって自分に問いかける内、
それらの殆どが親を含む周囲の大人から植え付けられたものだと理解した。

そして、もう一度、自分を規制しているものを一つ一つ検討し、
取捨選択をして、納得できるものだけを残してみた。
すると、心がスッキリ、動きやすくなった。

何が真実か否か。
分からないことが多いけど、
経験の中から自分なりに判断する。
分からない時は、保留する。
これで良いんだ。と、思った。

人間は、一人で生きられないから、
多少の規制が必要だけど、
生き難くなるほどの過剰な規制は、要らない。


麻生 若那

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by wakana-2015 | 2017-02-08 11:07 | 心理

人間の習性

高校の授業で、(と言っても23歳でしたけど…)
フランシス・ベーコンという哲学者について学びました。

彼が説いた『4つのイドラ』 の話を聞き、
目の前がパッ!と明るくなるような衝撃を受けました。
ベーコンの説く「イドラ」は、まさに、人間の習性を突いていて、
シンプルに表現していたからです。

それまでの疑問、
”あの人達は、どうして噂話をするのだろう?”
”あの人達は、どうして権威のある人の話を有難そうに聞くのだろう?”
”あの人達は、どうして主観で他人を判断するのだろう?” 
等々・・・。

これらの疑問が、一瞬でスッ!と消えたのです。
私を含め「人間とは、こんなもんなんだ。045.gifと。

それからというもの、哲学が面白くなり、
色んな哲学書を読むようになりました。
大学で心理学を学ぶ前に、哲学書を読み漁ったことで、
心理学をより深く読み取る態勢が作られたように思います。

<お薦め本>


麻生 若那

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by wakana-2015 | 2017-01-25 08:08 | 心理

言葉にできない

若い頃、「幸せ」という言葉を発するのが怖くて、
素直になれない自分がいました。
その理由に気付いたのは、29歳の時でした。

「幸せ」と、言葉を発した途端、そこが人生の頂点となり、
坂道を転がるように落ちていくのでは…という不安に駆られ、
幸せと思うことが怖かったのです。

何故、そこが人生の頂点と思っていたのか?
それは、幸せになることが、私にとっての目標だったから。。。

でも、幸せ、苦しみ、辛さ等は、一瞬、一瞬の心の動きであって、
人生の目標とすることではないと考えました。

人生は、その時々の何かを感じながら生きること。
心は、瞬間で変わるのだから、感じている体験を大切にしよう。
それを味わえないこと自体が、不幸だ。と思ったのです。

それまでの私は、「幸せとは、こういうこと。」と、
形を決めて、それを求め続けていたけれど、
幸せは、形じゃない。と、考えを改めました。

幸せは、一瞬の中に湧きおこる感情。
勿論、不幸も悲しみも同じ。
自分の中から湧き起る感情を大切にしてあげないと、
私が私を不幸にしてしまう。
どんな感情も丁寧に受け取ってあげよう。と、決めたら、
ふっと、心が軽くなりました。

<お薦め本>


麻生 若那
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by wakana-2015 | 2017-01-15 08:00 | 心理