カテゴリ:心理( 67 )

規制

自分の中に、自分を規制するものがある。

これをしてはいけない、
こういう時は、こうするべき。

自分に色んな規制をつけて、動きにくくしている。

その規制は、何からきたの?
それらは、自分の経験から作り出したの?
私は、それを本当に正しいと信じているの?

そうやって自分に問いかける内、
それらの殆どが親を含む周囲の大人から植え付けられたものだと理解した。

そして、もう一度、自分を規制しているものを一つ一つ検討し、
取捨選択をして、納得できるものだけを残してみた。
すると、心がスッキリ、動きやすくなった。

何が真実か否か。
分からないことが多いけど、
経験の中から自分なりに判断する。
分からない時は、保留する。
これで良いんだ。と、思った。

人間は、一人で生きられないから、
多少の規制が必要だけど、
生き難くなるほどの過剰な規制は、要らない。


麻生 若那

[PR]
by wakana-2015 | 2017-02-08 11:07 | 心理

人間の習性

高校の授業で、(と言っても23歳でしたけど…)
フランシス・ベーコンという哲学者について学びました。

彼が説いた『4つのイドラ』 の話を聞き、
目の前がパッ!と明るくなるような衝撃を受けました。
ベーコンの説く「イドラ」は、まさに、人間の習性を突いていて、
シンプルに表現していたからです。

それまでの疑問、
”あの人達は、どうして噂話をするのだろう?”
”あの人達は、どうして権威のある人の話を有難そうに聞くのだろう?”
”あの人達は、どうして主観で他人を判断するのだろう?” 
等々・・・。

これらの疑問が、一瞬でスッ!と消えたのです。
私を含め「人間とは、こんなもんなんだ。045.gifと。

それからというもの、哲学が面白くなり、
色んな哲学書を読むようになりました。
大学で心理学を学ぶ前に、哲学書を読み漁ったことで、
心理学をより深く読み取る態勢が作られたように思います。

<お薦め本>


麻生 若那

[PR]
by wakana-2015 | 2017-01-25 08:08 | 心理

言葉にできない

若い頃、「幸せ」という言葉を発するのが怖くて、
素直になれない自分がいました。
その理由に気付いたのは、29歳の時でした。

「幸せ」と、言葉を発した途端、そこが人生の頂点となり、
坂道を転がるように落ちていくのでは…という不安に駆られ、
幸せと思うことが怖かったのです。

何故、そこが人生の頂点と思っていたのか?
それは、幸せになることが、私にとっての目標だったから。。。

でも、幸せ、苦しみ、辛さ等は、一瞬、一瞬の心の動きであって、
人生の目標とすることではないと考えました。

人生は、その時々の何かを感じながら生きること。
心は、瞬間で変わるのだから、感じている体験を大切にしよう。
それを味わえないこと自体が、不幸だ。と思ったのです。

それまでの私は、「幸せとは、こういうこと。」と、
形を決めて、それを求め続けていたけれど、
幸せは、形じゃない。と、考えを改めました。

幸せは、一瞬の中に湧きおこる感情。
勿論、不幸も悲しみも同じ。
自分の中から湧き起る感情を大切にしてあげないと、
私が私を不幸にしてしまう。
どんな感情も丁寧に受け取ってあげよう。と、決めたら、
ふっと、心が軽くなりました。

<お薦め本>


麻生 若那
[PR]
by wakana-2015 | 2017-01-15 08:00 | 心理

頑張らないことへの恐怖

40歳を過ぎた頃から、頑張らないことへの不安が無くなりました。
それまでは、頑張って何かに取り組まないと、
怖くて、怖くて、仕方ありませんでした。

若い頃は、その理由が分からず、衝動的に頑張っていました。
でも、年齢を重ねるごとに、頑張ることに疲れを感じ始め、
そんな自分に「どうして、そんなに頑張るの?もう、やめようよ。」と、
問いかけ、その回答に、「どうして?」「どうして?」と、
何度も問いかけ続けた所、頑張る理由が判明しました。

私は、『頑張らないと親のようになる。』と思い込み、
頑張らないと親のような落魄れた人生になる。そんなの嫌だ!
と、まるで、蟻地獄に落ちまいと、
手足を必死にバタつかせているかのような
頑張り方をしていたのです。
結局、私は、自分の問題と正面から向き合おうとしていなかっただけなのです。

子供には、親と共通する部分が必ずあるものです。
でも、同じだと思いたくなかった私は、目を背けていたのです。

けれど、現実は、厳しい。。。
DNAを受け継いでいるのですから…。

そして、逃げるような闇雲な頑張りは、やめようと思いました。
自分の中のDNA(親)と向き合い、
人生にマイナスの影響を与えるものがあったら、改善しよう。
と、決めました。

親との共通点を見つける度、不安に駆られたけれど、
それらを知る事、そして、それらの対処法を持つことが、
親の呪縛から解放されると分かりました。

<お薦め本>


[PR]
by wakana-2015 | 2017-01-11 09:28 | 心理

優しさ

優しさの概念が共通している人と暮らすと、
ホッとしたり、大切にされていると感じたり。
幸せを感じることが多い。

自分を幸せにするには、自分が『どんな事』で幸せを感じるかを
数多く知っていることが必要なのだ。と、思った。
心によって得られる幸せは、何にも代え難い。

でも、綺麗ごとは、言いません。
心だけじゃ幸せになれないもん。034.gif
やはり、お金や物でも幸せを感じますものね。006.gif

[PR]
by wakana-2015 | 2017-01-08 16:29 | 心理

傷つかない選択

人は、自分の価値観や既成概念で他人を判断し、
肯定したり、否定したりする。

肯定されれば、嬉しい。
そして、肯定してくれる人へ好意を抱く。
否定されると、悔しくて悲しい。
そして、否定する人を嫌いになったり、苦手と感じたりする。

自分が他人にされているように、
実は、自分も他人にしている。
けれど、若い頃は、自分が傷つくことや他人の言動に焦点が合い、
自分を省みることなど、殆どしなかった。

傷つける人、傷つく自分。
何故、こんな事が起こるのだろう?
考えた結論が最初に書いたように、
人は、自分の価値観や既成概念で他人を判断している。ということ。

世の中の誰もが、それをしている。
勿論、私も。
そこで、私は考えた。
相手に私を傷つける意図がなかったら?
相手が自分の価値観と既成概念を発言しているだけだったら?
そうだとしたら、私が勝手に傷つく捉え方をしているだけになる。
あ!それなら、私が傷つかない選択をすればいいんじゃない?
そうすれば、たとえ、相手が傷つける意図で発言しても私は傷つかなくなる。
それって、凄く楽になれるんじゃない?043.gif

誰もが自分の意見を表現する権利がある。
そして、聞く側が、その意見を不快に思ったら、
否定したり、逃げたりする権利もある。
傷ついて耐えるだけの選択は、もうしなくていい。

そんな事を考えたのは、28歳前後だったと思う。
それからは、カチン!とくる他人の言動には、不快だと表現できるようになった。
不快な人の側に居て、耐えることもしなくなった。
そして、何より楽になったのは、誰の言葉を聞いても、
この人は、そういう価値観や既成概念で判断しているのね。
私と全然違うから、私は、不快になったり、
心がズキンと痛くなったりするんだな。
と、相手と自分の違いを認め、拘らなくなったこと。


[PR]
by wakana-2015 | 2017-01-04 08:00 | 心理

疲れるほど、気を遣う…。

過剰に親の顔色を窺って育った人なら理解できるかもしれない。
それは、人間関係で周囲に気を遣い過ぎてしまう癖。
疲弊するほど無意識にやってしまう。

私の父は、DV男で自己中だった。
欲しい物を買ってもらえないと1週間でも1ヶ月でも家族と口を利かない。
そんな時の雰囲気は、最悪。
そんな自己中の父を宥めるのが私の役目。
父の好きな物(車)に関して質問したり、父が歌う声を大げさに褒めたり…。
父は、最初は面倒臭そうに話す。
でも、根気強く話しかけると、父自身の持つ知識を自慢げに話し、機嫌が良くなる。
そして、家族の険悪な雰囲気が消え、普通に戻る。

今、振り返ると、自分の役割を勝手に背負い、父の機嫌を直せた時に達成感を味わっていたように思う。
私にとって、父の機嫌が直る事は、報酬だったのかもしれない。
まるで、パブロフの犬みたいだわね。037.gif

物心付いた時から、こんな事をしているんだもの。
過剰に気を遣う癖は、簡単に修正できない。
けど、大人になれば、価値の有る事と無い事の判別ができる。

ある時から、事ある毎に自分に問うた。
『自分にとって、そこまでやる価値があるの?』と。
無いと判別した時は、嫌われる覚悟で気を遣わないと決める。
気を遣わない事が怖い、だから、そんな覚悟をする。
気を遣わないと良くないことが起こる。
これも、子供の頃からの固定観念
何も起きないのに、悪い想像をする。
子供の頃は、自分が気遣って行動しないと父の機嫌が直らない為、家族が可哀想だった。
でも、大人になったら、そんな気遣いは不要で、其々が自己責任で行動するのが当たり前。
私が過剰に気遣う必要などない。
そうやって、何度も何度も自分に言い聞かせたっけ。

今じゃ、表面的には、気が利かない女になっているけど、気付いても行動しないだけ。
もう、疲れることは、しないんだぁ~。041.gif


[PR]
by wakana-2015 | 2016-12-22 09:26 | 心理

プラマイゼロ


自分の人生を折れ線グラフで表すと、
30歳までは、思いっきりマイナスが続く。
でも、30歳以降は、プラスが続いている。

30歳までは、辛い事が多かったけれど、腐らず、諦めず、
ただひたすら、自分の未来開拓の為にと、色々考え、学び、挑んだ。

すると、25歳くらいから、何かが変わり出した。
そして、30歳を契機に、環境や人間関係がガラリと変化。

そんなことを友人に話すと、
『人生は、プラスマイナスゼロなんだね。』と友人が言った。

そうやって自分の人生や他人の人生を見ると、少し、違って見えてきた。

そして、私も思いました。
友人の言う通り、人生は、プラスマイナスゼロなのかもしれないと。




[PR]
by wakana-2015 | 2016-12-20 08:00 | 心理

憂鬱な日

私は、誕生日が近づくと憂鬱になります。
何故なら、生まれた事を母に否定されたトラウマがあるから。

私を身籠った時、堕胎したい母の強い希望と反対に、
父から強制的に「産め!」と言われ、仕方なく産んだ。という母。

『お前さえいなければ、DV夫と別れて解放されたのに。』と、
母は、父から逃げられない理由を8歳の私に押しつけました。

私は、自分のせいで母が苦しんでいる、泣いている。と、
生まれたことへの強い罪悪感を抱くようになりました。

今も誕生日が来るたび、憂鬱になります。
けれど、私は、そんな憂鬱な感情を抱える自分を許しています。

親という存在は、子供の一生に影響を与えます。
けれど、親になったとて、完璧な人は、いません。

子供は、ある時を境に、
そこに生まれるしかなかった自分を受け入れるしかないのです。
人其々、自分に合った方法で受け入れられれば良いのでしょう。

私は、未だに生まれたことへの罪悪感を払拭できないけれど、
それを抱える自分を受け入れ、抑圧や強制で自分を変えようと思いません。
あるがままの自分で良い。
それで十分だから。


[PR]
by wakana-2015 | 2016-12-19 08:00 | 心理

押付け

完璧な人は、いない。

勿論、私も。


でも、若い頃の私は、『こうあるべき!』という概念が強く、

それを他人に求め、押付け、心の中で批判してばかりいました。

そんなだから、自分の周囲には、魅力ある人など見つかる訳もなく、

自分は、人に恵まれない・・・と思っていました。


でも、ある日、気が付いたんです。

自分は、どうなんだ!?…と。

他人を批判できるほど、自分は、完璧なのかはてなマーク


私が他人に『こうあるべき』という考えを押し付けていたのは、

不快な思いをしたくないからで、自分の心地良さを求めるが余り、

それを他人に押し付け、批判し続けていた。


人間なんて違って当たり前で、

ましてや、自分は、他人をジャッジできるほど完璧じゃない。

なのに、私は、偉そうに批判して、嘆いて、ストレス溜めて・・・。


おい、自分ビックリマークお前は、何様だ!!プンプン

と、自分を叱りました。


それ以降、自分と著しく違う人が居ても、

「人は、それぞれ。色んな人がいるのだから、仕方ない。」

と、捉えるようになり、とっても楽になりました。


あ、でもね。

私も生身の人間。

ムカつくし、怒りが湧くこともあります。

そんな時は・・・、

「私は、相手の~が嫌なんだね。そりゃ、ムカつくわなぁ。」と、

自分の感情を第三者が共感するように受け止めています。

バイオリズムが低迷して、コントロールが困難な時は、

ムカついた感情をあからさまにすることもありますけどね。


麻生若那プロフィール


[PR]
by wakana-2015 | 2016-12-14 08:08 | 心理