カテゴリ:心理( 67 )

愛すると壊れる心

最初の恋愛は、16歳の時。
その人とは、15歳で知り合った。
その人と出会った時、”あ!私、この人と結婚する。”と直観した。

その後、付き合う事も無く、1年過ぎた。
16歳の時、相手から交際を申し込まれ、2年の交際の後、18歳で結婚。
その2年の交際は、週に一度は、デートするというアツアツぶり。
喧嘩をしたけど、別れたいと思ったことがない。

18歳で結婚したら、それまでとは違い、独りぼっちの日々。
”とある活動”に忙しい夫は、仕事から帰宅し、夕食を終えると活動へ。
毎晩、午前3時過ぎの帰宅。
酒乱の両親の家から出られたことは、良かったけれど、独りは寂しい。
けれど、寂しいと弱音を言うと「嫌なら出ていけ!」と言われる。

彼の事が好きで仕方ない私は、自己滅却してでも嫌われまいと必死。
自分が悪い、自分が変だと思い込む。
相手にとって良い女になりたいと我慢するも、愛されたいという強い欲求もあった。
相手の言いなりになると、愛されたい欲求が抑圧される。
・・・バランスが崩れて、心が壊れた。
そんな経験をして『私は、人を愛すると壊れる。』と自覚した。

離婚直後、同級生に告白されて同棲し、1年後、結婚した。
”私は彼を好きなわけじゃない。一緒に居て楽なだけ。好きになったら大変なことになる。”
そう自分に言い聞かせ、それを相手にも言った。
『私は、人を愛すると壊れるの。壊れた私を見たら、貴方も私を突き放したくなるよ。』と。
そんな私に、彼は、言いました。
「俺は、そんな人間じゃない。君の前の夫と同じにしないで欲しい。」と。
私は、『人は、信じる対象じゃない。愛は不変じゃないんだから。』と心で呟いた。

最初の結婚で、私は、愛されるために、良い人を演じた。
そうすることによって、愛を得ようとしていた。
でも、再婚して思ったのは、愛されたいなら、素直に愛を求めれば良い。
相手の反応を見れば、私が求める人か否かが分かる。
だって、自分を素直に表現しているのだもの。
けど、素直になって、相手が求める人ではないと分かるのが怖い。
でもね、感情移入が弱ければ、冷静に判断できる。

二度目の結婚の時は、『人は、信じる対象じゃない。愛は不変じゃないんだから。』という諦めがあったことで、冷静に判断できた。
私は、人を好きになると、怖さが先に立って、気持ちに余裕がなくなり、素直になれない。と分かっていたから、諦めるという対策を立てたんです。

再婚して21年。
今は、素直に「夫が大好き162.pngと言える。
人を好きになるのが怖かった過去の私。
愛は不変じゃないけれど、愛情関係を保つことは、できる。
今は、自分が壊れるような愛し方をしない自分がいる。


麻生 若那

[PR]
by wakana-2015 | 2017-04-02 08:00 | 心理

傷つきやすさ

同じ言葉を言われても、気にする人と、気にしない人がいる。

私は、些細な言葉に敏感に反応するタイプでした。
冗談が通じない性格というのでしょうか…。
そんな自分が嫌だったし、傷つく度に疲れました。

そこで「何故、傷つきやすいのか?」と考えてみたら、
自意識過剰で自己評価が低いのが原因だと思いました。

自分の世界に囚われて、どんな言葉もネガティブに受け取る。
言葉をナイフに変えていたのは、私。

それ、もうやめようよ。
言葉の意味を勝手に想像して、自分を傷つけるのは、やめよう。
言葉は、考えを表現するツール。くらいの感覚で聞き流せば良い。

相手が放った言葉の意味は、放った本人しか分からない。
例えば、「短いスピーチ」と聞いて、10分と思う人もいれば、5分と思う人もいる。
互いの感覚に違いがあるのだから、一々傷ついて落ち込むのは、時間の無駄。

聞き流す訓練をして、もっと楽になろう。

そう決めて、傷つく度に、先ずは、傷ついた自分の受け止め方を客観視。

そして、次に、『相手の思考世界と自分の思考世界は違う。相手は、思ったことを表現しているだけ。自分にとって不要な事は、考えない。追究しない。』と自分に言い聞かせる。

これを繰り返していく内に、傷つきやすかった傾向がガラリと変わり、周囲に鈍感と言われるほど、聞き流せるようになりました。

脳は、不思議です。


麻生 若那

[PR]
by wakana-2015 | 2017-03-22 08:00 | 心理

何もしたくない病(^^)

年に数回、何にもしたくないことがあります。
人と会ったり、話したり、掃除したり、洗濯したり…。
私は、それを「何もしたくない病」と言っています。006.gif

皆さんもそんなこと、ありませんか?045.gif046.gif

以前は、そんな自分を責めて、無理やり動いていましたが、
今は、したくない気持ちのままに行動します。

だって、人間ですもの、そんな時もありますよ。
ホルモンバランスとか、自律神経とか、脳内物質とか…。
人の行動に影響する体内変化があるのだもの。
気分が変化するのは、当たり前。
そんな時は、無理しない、無理しない。

という訳で、何もしない病の時の私の家は、
ホコリが積もりっぱなしです。023.gif


麻生 若那

[PR]
by wakana-2015 | 2017-03-19 08:00 | 心理

自己愛の強い親

『子供を愛さない親は、いないよ。』

両親の話をすると、決まって言われた言葉。
その言葉を聞く度、「この人は、私が経験している修羅場を理解出来ない。」と思った。

自己愛が強い親は、子供より自分が優先。
子供を愛する以前に、子供から愛を得ようとする。
故に、子供は「親の親役」を負わされる。

人生経験の浅い子供は、「親を喜ばせよう。」と、必死に考え、
『親にとって、良い子』になる。
聞き分けの良い子、親に素直な子、親に頼らず自分で何でもする子、e.t.c.

親の機嫌が良ければ、愛され、可愛がってもらえる。
だから、親の機嫌を損ねぬよう振る舞う。
いつしか、親からの愛は、自分の振る舞いへの対価となる。

そして、子供は、大人になり、親を一人の人間として見るようになる。
「こいつら、これでも親か?!」…そんな言葉が頭をよぎる。
同時に、『育ててもらった親に、そんな事を思っていいのか?!』と自分を責める。

育ててもらった子供として…。という道徳観。
愛されたい。という親への愛情欲求。
人として…。という、一般倫理観。
それらが交差して、頭の中が乱れる。

ん?ちょっと待てよ。
全部をまとめて考えるから乱れるんじゃないの?
一つ、一つ、切り離してみたら、どうだろう。
ごっちゃにするから、どうしていいか分からなくなるんだ。

頭の中を整理したら、乱れが治まり、
親と自分の関係を冷静に考えられるようになった。

何歳になっても、私の中には「親に愛されたい子供の自分」が居る。
それを認め、「親に愛されたい子供の自分」の声を聴き、
私が私の母となり、子供の自分に愛情込めて応える内に、
不完全燃焼だった愛情欲求が昇華されていく。
そして、生物学的な親は、愛情対象ではなく「人としての彼ら」となった。


麻生 若那

[PR]
by wakana-2015 | 2017-03-12 08:00 | 心理

もう、怯えなくていい。。。

両親のようになりたくない。
両親のようになるのが怖い。

いつからか、そんな不安が私の中で生まれ、
常に努力をすることを強制する自分が生まれました。

”努力をしないと、崖から転がり落ちるように、
自分がダメになる。両親のように…。

けれど、不安を抱え、怯えながら努力を続けると、疲れてしまいます。

40歳になった頃、頑張り続けること、努力し続けることに疲れ、
毎晩、入浴時に、正岡子規の言葉や孔子の言葉を頭の中で繰り返しては、
「40歳にもなって、何もできていない。」と、自分を責めました。

臆病な努力を続けてきた自分が何も残せる訳が無い。
そんな思い込みがあったのです。
数か月、自分を責め続けた後、ふと、視点が変わった時がありました。

自分は、何もしていないと責めているけれど、
22歳から決意したことは、やり遂げた。
そして、やり遂げた事で自分の生活を変えた。
自分は、ちゃんと結果を残しているじゃないか。
自分を否定し、感情的に自分を責めるのではなく、
積み重ねた事実と、変化した現実を見てあげなくちゃ。

例え、怯えながらでも努力を続けた事実と、
その成果として、やりたかった仕事に就いている現実。
ただ、私は、怯えながら努力することに疲れ、
もう、こんなの嫌だ!と強く感じているだけだったのです。

追われるように努力したり、
怖いという理由で頑張る事に強い違和感を抱いただけ。

そこに気付いたことで、気楽な努力ができるようになれました。
もう、怯えなくて良い。
両親の呪縛から解放された瞬間でした。


麻生 若那

[PR]
by wakana-2015 | 2017-03-05 08:00 | 心理

予約枠を増やしました

exciteお悩み相談室にいらして下さる皆様、いつも有難うございます。

今回は、予約枠増加のお知らせです。

今までより、少し多めに夜間の予約枠を設定しました。

下記のexciteお悩み相談室バナーから、スケジュールをご覧になれます。


麻生 若那

[PR]
by wakana-2015 | 2017-03-02 11:30 | 心理

誰の所為でもない・・・。

私の両親は、近所の噂の種になる人達でした。
父の暴力で母の具合が悪くなり、月に何度も救急車が来る。
子供だった私は、近所のおばさんに助けられました。

そして、大人になっても、噂の種の絶えない両親でした。
父の機嫌を窺う癖や近所の噂を耳にする日々だった所為か、
常に周囲の目が気になり、大人しくしている私でした。
そんな日々ですから、ストレスが強い。

それは、親の所為、周囲の噂の所為。と、外部ばかりを批判する私。
批判と愚痴ばかりも疲れる・・・。

もっと自由になりたい、もっと楽になりたい。と常に思っていました。
どうしたら良いのだろう?・・・と、模索する日々。
高校で学んだ哲学は、そんな私に答えをくれました。

苦しいのは、誰の所為でもない。
この問題は、身体的、物理的な問題とは違い、
私の捉え方、考え方を変えれば解決できる心理的な問題。
他人の噂など気にしなければ、大した事じゃなくなる。
他人の顔色を窺う癖も、その都度、「この人は、父じゃない。怖くない、大丈夫。」と自分に言い聞かせれば良い。

私は、問題を誰かの所為にして、対峙できない自分だった。
そこに気付いた時、心が自由になり、解放されました。


麻生 若那

[PR]
by wakana-2015 | 2017-02-27 10:20 | 心理

偏見

大学時代、アメリカの姉妹校で英語を勉強する機会があった。
その際、課外学習で「ホロコースト博物館」を見学した。

見学していく中で、二つのドアの前に立たされ、「自分に偏見があると思う人は、こちらへ。偏見が無いと思う人は、あちらのドアの前にお立ち下さい。」とガイドに促され、私は、偏見があるドアの前に立った。
もう一方のドア(偏見なし)の前に、高齢の男性が「私には、偏見などない。」と言って立っていた。

全員が立ち位置を決めた所で、ガイドが言った。
「では、ドアを開けて下さい。」
私の選んだドア(偏見あり)は、開き、もう一方のドア(偏見なし)は、開かなかった。
そして、ガイドが言いました。
「偏見の無い人間は、いません。偏見を自覚することが平和の第一歩です。」と。

私は、自分に偏見などないと思っていた時期がありました。
というより、偏見の有る無いを自覚していなかったと言う方がシックリくるかな。
でも、高校で哲学を学んだのをきっかけに、自分は、偏見の塊だと自覚した。
その偏見の塊を割り、柔軟な思考や新たなことを吸収できる自分になろうと努力した。
最初は、簡単じゃなかったけど、ニュートラルな思考状態が保てるようになった時、目の前の霧が晴れ、頭がスーッとスッキリしていくのを感じた。

その経験で分かったことは、自分を苦しめていたのは、自分自身だったということ。
それ以降、生きるのが楽になりました。


麻生 若那

[PR]
by wakana-2015 | 2017-02-22 10:47 | 心理

絶対と真実

10代の頃、真実や絶対性を求めていた時期があった。

とある宗教が説く「絶対的幸福」を信じようとしたこともある。

自分の生真面目さを信じ、「自分は、非常識なことを絶対にしない。」と思い込んでいたこともあった。

20代半ばになり、色んな出来事が重なり、精神的に追い込まれ、自分は絶対にしないと信じていた行動を取ったことがあった。
そんな行動をしながらも『まさか自分が…』とか『こんなことをしてはいけない。』という強い葛藤があった。
でも、その行動を止められない自分が、そこに居た。

このままでは、いけない。
こんな非常識な行動を取る自分の心と向き合わなければ。と、思い、心の声を丁寧に聴いてみた。

すると、「絶対的幸福を信じようとしているけど、信じられない。」自分が居て、『そんな自分は、ダメ人間。だから、幸せになれないんだ。』と、責めている自分も居た。
そして、改めて『絶対』とは、『真実』とは、何か?と追究しようと思った。

その答えは、この世にある絶対は、死のみで、
この世にある心理的真実は、人によって異なり、自分の体験により得られる。だった。

絶対的幸福を説く宗教を何年経っても信じられないのなら、それが私の経験から得た答えなのだから、潔く別の道を進めば良い。
真実を求めるなら、私自身の日々の経験を大切にすれば良い。
そして、信じていた自分でさえ、自分を裏切り、想定外の行動を取るのだから、自分を含め、人は、良くも悪くも変化するものと捉え、既成概念に囚われないようにしよう。
この時の経験は、心が解放された貴重な体験でした。


麻生 若那

[PR]
by wakana-2015 | 2017-02-19 08:00 | 心理

卑屈にならない

人間ならば、「こうなりたい。」、「ああなりたい。」という夢や理想を抱く。

私もそう。
色んな理想がありました。

でも、努力しても、努力しても、実現しない日々。
特に、子供が欲しいという思いが実現しないのは、辛かった。
周囲は、どんどん妊娠して、自分だけが置いて行かれる不安。
不妊治療を何年続けても治らないし、家族や親せき、周囲の偏見によるストレス。
どんどん卑屈になっていきました。

卑屈になっている自分を俯瞰した時、
悲劇のヒロインに、どっぷり浸かっているように見え、
そんな自分が嫌でした。

そこで、次のようなカテゴリー分けを考えました。
自分が持っている多くの理想の中から、
他人の手を借りずに実現できそうなこと、
他人の力を借りなければ実現できないこと、
医学の力を借りなければならない問題等々。

分けてみたら、他人の力を借りて実現したいことはなく、
医学の力を借りるカテゴリーは、自分も努力するけど、医学に任せればいい、
他人の手を借りずに実現できそうなことは、諦めずに取り組めばいい。
という具合に、自分が何をすれば良いかが分かり、頭の中が整理され、
同時に、行動も整理されて、気持ちが軽くなりました。

卑屈になったら、何もかもが嫌になる。
そんな自分も嫌いになる。
それでは、自分の人生を自分でダメにする。
それだけは、したくない。
だから、卑屈になりそうになったら、この体験を思い出そうと思いました。


麻生 若那

[PR]
by wakana-2015 | 2017-02-14 10:37 | 心理