カテゴリ:心理( 5 )

誰にでも。

誰もが、多くの可能性を持っている。
けれど、それを引き出していない方が多い。

なぜなら、その可能性は、
自分の内面の力を信じ、
強い決意を持つことで引き出せるから。

決意が出来ても、継続することは、難しい。
それは、平坦な道じゃないから。
人生は、転ぶときもあれば、怪我するときもある。
でも、それは、人生の肥やしとなる。
けれど、そこで止まってしまうことも多い。

自分の中の可能性を、誰もが引き出すことができる。
誰にでも、自分の知らない可能性があり、
想像も付かない未来を作ることができる。


麻生 若那

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by wakana-2015 | 2017-12-10 11:32 | 心理

自分を愛する

他人の評価を気にし過ぎて、自分の心の声を無視し続けた若い頃。

今思うと、周囲に批判されるのが怖かったんだなぁ。と、思う。

本当の自分を出すと、変わり者 と、言われる。

それが、凄く嫌だった。

自分を隠すことで、そう言われるのを避けた。

嫌われるのが怖かったから。

けど、この世に、一人として同じ人は、いない。

それなら、自分のままで良いじゃん。

嫌われたって良いじゃん。

自分が自分を愛せば、良いじゃん。

人生に、開き直りは、必要だ。101.png



麻生 若那

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by wakana-2015 | 2017-11-26 14:02 | 心理

駄目で元々。

子供の頃から親に言われていた事がある。

それは、『お前は、3日坊主だから何やっても続かない。』


子供の頃から言われ続けたら、

洗脳されて、自分は三日坊主と思い込む。

その思い込みを変えるのは、一苦労。

だから、親は、子供に親の勝手な思い込みで子供を決めつけ、

それを子供に思い込ませては、ならない。


自分は、どうせ続かないから、やっても無駄。

そんな自分への先入観が、チャレンジを阻む。


それでも、中卒で働く中で、

学歴社会を思い知らされ、苦しんだ自分を変えたかった。

けれど、高校進学を実行するまで数年の時間がかかった。


やるからには、必ず、卒業したい。

不安だけど、やってみよう。

20代前半で高校進学。

周囲には、『どうせできない。賭けても良い。』と言われた。

その悔しさをバネに、高校~大学~専門学校へと進み、国家資格を取得した。


どうせできないと言っていた知人は、私が高校を卒業した時、

「まさか、卒業できると思わなかった。悪かった。」と、無礼な発言を謝った。

私を見下した両親や周囲を見返してやった!!

と、私は、凄く嬉しかった。

何より、勉強の楽しさを知ったのが、一番の収穫だった。


とは言え、ネガティブな想像で尻込みする私の性格は、今も変わらない。

でも、この成功体験のお陰で、

『ダメで元々、やってみなくちゃ分からない。』

という、挑戦しやすい態勢を持てるようになった。


誰にでも、自分が知り得ぬ可能性を自分の中に持っている。

だから、最初から諦めず、挑戦してみる価値は、ある。



麻生 若那

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by wakana-2015 | 2017-11-17 21:18 | 心理

探し求めて得た答え

『自分は、何故生まれ、何の為に生きているのか?』
と、追求し始めたのは、いつ頃だったろう。
気がついたら、その事を日々考えていた。

そう考える背景には、
『生まれてこなければ良かった。』
という思いがあったからだと分かったのが10代後半だったと思う。

自分が生まれた理由。
それは、人間の欲求によるものであり、
その欲求の営みのタイミング。
即ち、両親の性欲ということ。
それが、1日でも、1秒でもズレていれば、
私は、生まれていない。

両親が私を作った理由は、
父の兄に子供ができず、
その兄の養女にする為に作った。と父から聞いた。
でも、何故、養女に出さなかったのか?
それは、未熟児で生まれた私が、
「何度も死を宣告され、強い情が移ったからだ。」
と、父が言っていた。
私が生まれた理由は、そんな大人の思惑があったから。

人生は、苦しいことの連続。
生きること自体が辛い。
そんな苦しみの中に、生きる理由があるのか?
私は、何の為に生きているのか?
死んだ方が楽だ。
20歳の時に自殺を図ったが未遂に終わった。

目が覚めたとき、死ねなかった・・・。と落胆した。
でも、再度、自殺を図ろうとは、思わなかった。
死ねなかったのなら、生きる道を選ぼう。

そこで初めて、『自ら生きることを選択した。』
何のために生きるのか?
それは、自分が生きると決めたから。
苦しんだ結果、生きる理由ができました。

その時、初めて理解しました。
生命(自分)の誕生は、多くのタイミングが一致し、
細胞レベルの本能で生まれただけのこと。
そして、『生きる理由』は、生誕後に自ら見つけるのだと。


麻生 若那

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by wakana-2015 | 2017-11-12 12:54 | 心理

固執を一旦手放す

人間関係において、殆どの人は、物事を見るとき、自分側目線で見る。
誰かの意見を聞いたとき、共感できる側目線で判断する。
それは、当たり前なんだけどね。
私だって、そうだもの。
だって、価値観や意見の共有で安心できるから。

でも、自分の考えに固執すると、
争いを引き起こしたり、
相手と自分の共有を阻む。

聞き入れられない!
納得できない!
そんなの有り得ない!
・・・と、拒絶するのは、簡単。
でも、「相手側に立って考えてみる。」ことも簡単。

それは、自分を曲げることでもなければ、
自分が無くなる訳でもなく、
自分が負けた訳でも無い。
一旦、『自分』を脇に置いて、
相手の性格を一旦取り入れて、
相手の性格だったら、これをどう思うか?
これをどう見るか?と、考えてみるだけ。
すると、「ふむふむ、この人なら、こう考えて当然かも。」となる。
で、「貴方が、そう思うのは、無理ないね。」と思える。

だからと言って、自分を相手に合わせる必要はない。
単に、自分と相手の性格が違うだけなんだから。
ただ、『自分の考えに固執』すると、
相手を嫌いになったり、
争いになったりという自体が生じる。
好き嫌いは、人間の本能だもの、嫌いなら嫌いで良い。

でも、固執し過ぎると、自分が苦しくなり、
そこに居ることさえ、苦痛になる。
相手を見る度にイライラしたり、一挙手一投足が気になったり・・・。
精神衛生上、良くないよね。

これは、『固執する』という症状に問題があるだけ。
この『固執』を手放せば、相手に対してイライラすることは、
殆ど無くなり、自分が楽になる。

若い頃の私は、『固執人間』と言えるほどだったので、凄く苦しかった。
だから、この苦しみから自分を解放する方法を考えました。
そしたら、「相手が悪い。と思い込んでいる。」こと、
「相手の気に入らない所に固執している。」こと、
「相手を変えようと固執している。」こと等々、
自分の中に原因となる『固執』がある。と、わかり、
それを手放すため、相手目線を一旦取り入れ、
自分目線との違いを明確にし、違いを受け止め、
相手との境界を明確にして、相手を侵略せず、自分を守る。
という術を身に付けました。

とはいえ、固執するのには、私なりの理由があるわけで、
それは、幼少の頃からの習慣というか、
文化的習性みたいなものもあったり、
それ以外にも色々な要因があって、それらが複合的に絡まって。。。

結局、自分を構成している「何か」に執着していたんだなぁ120.png
それが分かって、自分への対応法を作っちゃえば、非常に楽ちん101.png


麻生 若那

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by wakana-2015 | 2017-10-29 08:59 | 心理