偶然か、必然か。

何か問題が起きたり、人との出会いに対し、
「意味がある」と必然性を考えたり、
悪い事をした罰と捉えたり・・・。

そんな考察をする自分を分析して思った事。
それは、人間には、宗教的(又は哲学的)思考が備わっているのではないか…。ということ。

必然か、偶然か。意味が有るか、無いか。
その答えをどんなに追究しても得られない。
だって、真実なんて誰にも分からないんだもん。
それなら、自分で作っちゃえ!と、考えた。

辛い経験 → 自分の成長の為 → 真剣に取り組む → 成長と未来改革

…てな具合に、苦しみも辛さも嫌な事と捉えず、
自分が成長する為に与えられた試練という意味を持たせる。
そして、成長の先に、過去の自分から脱皮して新たな自分(世界)を得る。
それは、変化を楽しむことでもある。

偶然か必然か、意味が有るか否かも分からない。
けれど、やはり、必然と思いたい、意味を見つけたい。
意味が分かれば、地に足を着けて踏ん張れる。

30年以上前、どん底の状態の時、
私が今も人生の師と仰ぐ女性から言われた。
『今の貴女の苦しみは、未来に同様の苦しみを抱える人を救う為の経験よ。
今、貴女が負けたら、未来の誰かを救う役目を果たせない。
だから、真正面から取り組み、思い切り苦しんで、泣きなさい。
そして、乗り越えなさい。
問題が解決しなくても良いのよ。
貴女が納得できる答えを掴むだけで良いの。』
未来に人を救う?!
それが、真実の答えかどうかは、わからない。
けれど、そう捉えて取り組むと生きるエネルギーが湧くのを感じた。


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by wakana-2015 | 2016-10-20 09:00 | 心理
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